Bioneerからの学び(5)「Justice(正義)」について
(前回からの続きです)
先日、ついに日本の報道番組でも
このブログで2回にわたって書いてきた
スタンディングロックの先住民のことが
取り上げられていました。
それにちなんで、今回は、しばらく気になっていた
とある言葉について書いてみようと思います。
Bioneersでも3日間にわたって、
何度も耳にした、この言葉。
「Climate Justice(環境正義)」
「Social Justice(社会正義)」
スタンディングロックにおける先住民と
石油パイプライン会社や政府との対立問題も
この「環境正義」や「社会正義」という言葉と
結びついています。
簡単に説明すると、、、
アメリカに限らず、国内に貧富の差のある国々では
環境問題を作っているのは、利益を生む裕福層で
その犠牲者は、マイノリティーや貧困層などの
いわゆる弱者たちである、という構造があります。
例えば、アメリカ国内においては
黒人や先住民、有色人種が多い地域に
有害廃棄物を処理するための施設が
作られてしまうのも、これにあたります。
アメリカほど国内の格差がなさそうな日本では
こういったことはあまり問題視されない風潮が
あるのだけれど、、、
実は、青森の六ヶ所村にある核燃料の再処理工場や
沖縄の高江に米軍のヘリパットを作る問題とかも
実は同じようなこと。
今回のBioneersでは、「環境正義」「社会正義」
「世代間正義」「ジェンダー正義」などというように
いろんなところで「正義(Justice)」という言葉が
使われてました。
格差や偏見、暴力や差別が日本よりも根深い
アメリカだからこその「Justice」の主張。
でもね、、、このことを考えながら
心の奥で、何かがモヤモヤしていたんです。
その原因は、、、
「正義」という言葉。
いや、正確に言うと、言葉そのものというよりは
その言葉に対する私の先入観だったり
ちょっとした拒絶反応だったのかもしれないけど。
「正義」って、私の中でのイメージでは
それぞれの立場からの、主観的な正しさや
信念、または理想のようなもの。
「正義」という言葉が使われる場面には
たいてい「対立」がみられるのだけど
自分の信じている正義だけを正しいとして
その価値観を共有しない人を攻撃、批判し
分離が起こりやすいよな〜、というのが
モヤモヤの理由だったと思います。
「正しさのぶつかり合い」ということになれば
それはもう「平和のための戦い」なんていう
本末転倒なことにもつながってしまうし。
でも、Bioneersに限らず、アクティビスト達は
「Justice」という言葉をよく使っているので
この言葉の真意をあらためて理解したいと
かねてから思っていた私。
そこで、「Justice」をあらためて辞書で
チェックしてみました。
Justice: 正義、公正、公平
Justiceには、少なくとも3つの日本語訳が
あることに気づきます。
「正義」:倫理、合理性、法律、自然法、宗教、
公正さにもとづく、道徳的な正しさに関する概念。
「公正」:公的に取り決められた正しさで
法律や規則といった、文章や数値などでの
客観的な判断の基準があるもの。
「公平」:複数の対象となるものが
公的にみた時に、同じように扱われること。
ふむふむ、、、、。(まだ頭はグルグル中)
ちなみに「公平」と「平等」の違いを調べてたら
ネット上に分かりやすいイラストを発見!
左が「平等」、右が「公平」。
ほぉぉーーーー!(目から鱗)
「公平」と「平等」も実は別物なんですね!
言葉の違いを学ぶと、いろいろなことが
紐解けてきます。
ちなみに、「公平」という基盤の上に
「平等」が追加されてる図が、こちら。
左が「公正」、中央が「平等」、右が「公正+平等」
これもとっても分かりやすいな〜。^^
全員が基本的な欲求の部分で満たされた上に
それぞれの自由さや特性も共存しているんですよね。
話を「正義」に戻して、、、
「環境正義」「社会正義」などをもう一度
日本語で調べ直していくうちに、実際には
「環境的公正」「社会公正」と表現されていることも
多いことが分かってきました。
どの事例についても、実際は、公的に定められた
「人権」というものが侵されているんですよね。
このことからも、アクティビスト達が使っている
「○○ justice(〜正義)」というのは、実のところ
「公正」という意味で捉えていいものなのだろうと
今のところは理解しています。
ここまでで、最初に感じていたモヤモヤ感は
だいぶ消えたかな。^^;(ふ〜〜〜、、、苦笑)
一方で「正義」と「公正」も、実は少し違うことも
だんだん分かってきました。
例えば、アンパンマンのような「正義の味方」。
お腹をすかせた人を救いたい、という理由で
相手をパンチしてしまうと「公正」には反します。
これに関しては、哲学的な話になりそうなので
ここでは割愛しますが。
(、、、というか、まだ上手く書けない。)
ここからは、あくまで個人的な意見ですが
「正義」というのは、公正さを含みつつも
それぞれの立場から見た道徳や価値観による
違いが色濃く出るような気がします。
さらには、各自の世界に対する俯瞰度や
何をもって幸せとするかといった要素も
多いに絡んでくると思います。
そう考えると、正義というものには
「道徳」や「常識」などと同じように
多様性があるものなんですよね。
トランプ大統領の正義と、先住民の正義は
どうしても、今の時点では相容れない。
でも、私が先住民から学んでいることは
まだこの世に、権力による暴力があるうちは
「非対立」というのは難しいけれど
「非暴力」というあり方だけは貫いている、ということ。
非暴力。
これは、ソーシャルアクションを起こしていく
アクティビスト(活動家)にとっては
とってもとっても大事な精神。
目指すのは、対立の先にある
無敵の(敵のいない)世界。
そこには、「正義」すら超越した
Compassion(慈愛)の空間が
広がっているから。
最後に。
トランプ氏が大統領になった当日
実は私もまだサンフランシスコにいたのだけど
それはそれは、大混乱でした。
でも、今回のBioneersスタディツアーを
企画してくれたTUPのえりちゃんが
ウパヤ禅センターのJoshin 副住職の言葉を
訳して、FBにシェアしてくれていたおかげで
帰りの飛行機の中で、自分の心を
深く見つめることができました。
「正義」ともリンクすると感じているので
せっかくなので、ここにも残しておきますね。
*****************
”暗い時代が英雄を生み出すだろうと
FB上で言われています。
そこにジャンプする前に、自分がこれまで
多様なネットワークや関係性を持たずに
自分自身の大切なリベラルなバブルにとどまり、
その外にいる国民たちがどれだけ不幸で
痛みを負っていたか、知ろうとしてこなかったことを
恥じています。
そしてそのメッセージをアメリカに送った人たちは、
皆自分の隣人です。
今こそ教えの実践に戻る時:
自分の鼻の先で起こっていることを
じっくりよく見ること(to bear witness)。
お互いをもっとよく知る必要があると思います。
今、自分の国を疎遠に感じています。
突然自分の隣人をまったく理解していないことに
気がついたのです。
自分自身のいわゆる部族と思えるような人たち
(自分と同じように考え、感じ、世界を見ている人たち)に
囲まれて、彼らの声だけを反響しあっていました。
これから深く聞く(deep listening)の期間に
入りたいと思っています。
自分にとっての英雄的な行為とは、
これまで知っていたと真剣に思っていたことを、
まったく知らないものとして、より深く見つめること。
とても難しことです。
自分と根本的に違う世界、そして私が
彼らが求めていると仮定していたのとは
全く違うものを求めていた何百万人もの人々。
彼らに心を開き、そこで起こることを
じっくりよく見るという、自分にとって
鋭いエッジの状況に自分を置かなくてはならない。
深く聞くこと、そして関係性をつくること。
これが自分の今の実践。
そこから勇気ある、癒す力を持った、
思いやりのある行動が生まれ出てきますように。
それ以外の方法は考えられません。
親類だと思う人々に対して、私たちの心が
より大きく開きますように。
多くのパーツがありつつ、体は一つ。
(Many parts; One body)
これから、たくさんの大仕事が待っています。”
長くなってしまったけど、読んでくださってありがとう〜☆
———☆ 追記 ☆ ———–
ワールドシフトの活動を通して出会った
ヴェリタス総合研究所代表の馬場真光さんが
FBにシェアしてくれていたこちらの文章も
「なるほど~!」と腑に落ちたので
了承の上、ここにシェアさせてもらいますね。
「共感とか愛とかの大切さが思い出される
自他一体と統合に向かう時代においては
正義の旗を掲げた排除は、次第にその役目を終える。
自分が悪と思うものを攻撃する正義 (justice)と
自他を生かす時宜を得た適切さ (appropriateness)では
視野の広さと思慮の深さの点でおおいに違う。」
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