社会的アイデンティティと社会の構造
(前回の続きです)
リジェネラティブ・リーダーシップのクラスには、
世界各国から、それぞれの文化的背景を持った参加者が
さまざまな動機から30名ほど集まっていたので
刺激に満ちた1週間を一緒に過ごすことになりました。
今回は、このクラスに存在する多様性にちなんで、
「社会的アイデンティティ」というキーワードと共に、
そこからみえてくる「社会の構造(システム)」についても
少し触れてみたいと思います。
社会的アイデンティティとは
「社会的アイデンティティ」というのは、一言でいうと、
ある集団に自分が属しているという感覚や、
それによって規定された自己認識のこと。
個人レベルでは、年齢、容姿、家族内でのポジション、
ジェンダー、性的指向、身体的・心理的・発達的な能力など。
社会的レベルでは、出身地(とその歴史)、人種、第一言語、
宗教、教育、民族性(移民の歴史など)、政治への見解
社会的なステータス、収入、職種、などが挙げられます。
今回、様々な国から集まった参加者をざっとみると、
例えば、性別、年齢、容姿、第一言語、などは
本当に多様だったのですが、他方、収入といった点では、
決して安くないエサレン研究所のクラスに参加できる時点で
ある一定層の人たちであったと思います。
この「社会的アイデンティティ」というのは、
リーダーとして活動していく際、とても大切な視点となってきます。
リーダーシップが力を発揮する場面というのは、通常、
「I(わたし)」の領域ではなく「We(わたしたち)」の領域。
リーダーはその中で、多様な人たちの立場や視点を大切にした上で
それらを上手く織り合わせてネットワークをつくり、
その多様な力が相互作用を通じて最大限に生かされるような、
豊かな土壌づくりをしていきます。
この時、一人ひとりの社会的アイデンティティというのを、
単なる「違い」として受け止めるだけでなく、それらが
今自分達のいる場所で、どのような「見えない力学」の影響を
受けているかを知ることも、とても大切になってきます。
つまり、組織や社会に潜む「見えないパワー構造」に意識を向け
それに気付いていくということ。
なぜなら、この「見えないパワー構造」の存在が、
グループだけでなく、この社会全体に対しても
いろんな不平等や軋轢を生み出すものであるから。
リーダーが仲間達と共にどれだけ良い意図を持って努力しても
私たちをとりまくシステム(構造)そのものがもたらす
悪影響を知らなければ、努力が実らなくなってしまうことも。
とはいえ、その「見えないパワー構造」というのは
自分のいる場所(国、地域、会社、etc)や時代背景によっても
少しずつ異なったり、文脈によって変わってくる部分もあるので、
まずは、自分がもつ社会的アイデンディディを棚卸しし、
さらにそこから、以下の問いと共に自分自身を振り返ってみました。
「これまでの人生に有利にはたらいた社会的アイデンティティはどれ?」
「リーダーとしての自分に影響していると思う社会的アイデンティティはどれ?」
「自己表現の障害になっている社会的アイデンティティがあるとすると、どれ?」
社会的アイデンティティは、自分で選んだものもあれば、
生まれた境遇や置かれた立場によって決められたものもあります。
生まれた国の環境や政治状況によっては、その後の人生を
健康に過ごせるかどうかも変わってしまったり(‘健康格差’)
基本的人権すら持てないまま一生を終えてしまう人たちも
たくさんいます。
アメリカにおいては、黒人、先住民、有色人種の人たちへの
構造的な差別が今でもさまざまな形で続いているため、
「ソーシャルジャスティス(社会正義)」への取り組みも
各地で広がっていて、社会に関わる気構えが
日本人である私たちとはかなり違うと感じます。
一方、特権を持った側として生まれてきた人たちというのは
その特権を「当たり前」のものだと思い込みやすいので、
まさか自分が差別していたりするとは気づきにくく、
構造的に弱者として追いやられている人たちに対して
自己責任論を振りかざしたり、無関心であることも多いのが現状。
実際、私は、これまでに日本でもアメリカでも
あからさまな人種差別を受けたことがなければ、
命が狙われる心配もしたことも(今のところ)ないし、
食べるものや寝る場所に困る経験をしたこともないし、
電気や水、交通網のインフラが整った国に住めているし、
ほとんどの国にいける日本国パスポートも持っている、、、
こうして、自分の特権を振り返ってみると、
まだまだ書けることもたくさん出てくるし、
意識化すらできていないものも多くあるだろうけど、
自分がもつ特権を考えてみるというのは、世界に対しての
自分の無意識の思考や振る舞いを見直す上でも大切なこと。
そして、自分が特権を持つ側にいることに気づいたら、
それに対して罪悪感を持つかわりに、それを作り出している
集合意識や社会構造に対して何ができるだろうと考えたり、
たとえ小さくても、最初の行動に移したりすることはできる。
加えて、先入観をもって人を推測したり決めつけたりしない、
というのも重要な点。
実際私たちは、初対面の人に対して、肌の色や服装、
声や仕草などから、自分の脳内のデータに勝手に紐づけて
いろんなことを推測してしまいがち。
「We(私たち)の領域」を健全なものにしていくためには、
まずは、先入観を排除して目の前の人と向き合い、
その上で、人種、階級、年齢、性別、学歴などからくる
差別やパワー構造、自分の特権などにも同時に気づいていくこと。
そしてどんな立場であれ、そこに無意識に巻き込まれるかわりに
立場の違いを、好奇心と共に謙虚に受け止めること。
そうすることで、分離の意識を超えて、本当の意味での
「つながりの意識」を育むことにつながっていく。
次に続く「リレーショナル・マインドフルネス」では、
この「つながりの意識」について書いていこうと思います。
(続く)