ヴィパッサナ瞑想記 in カリフォルニア 3
Day 4
4日目は、本格的にヴィパッサナ瞑想の
指導が始まる、大切な日。
「ヴィパッサナ」とは
インドの古語であるパーリ語で
内なる真実をみつめること、洞察
という意味。
そして、ヴィパッサナ瞑想は
この内なる真実をみつめることで
「宇宙の真理」を体験的に理解し
心を浄化するための瞑想です。
この日からは、インストラクションに従い
全身を頭からつま先まで
順番にくまなく意識で追い
そこにある、あらゆる「感覚」を
観察していきます。
では、なぜ「感覚」を観察する必要が
あるのでしょうか?
以下に、講話から学んだことを大まかに書いてみます。
*********************
心に何かが浮かぶ時、それがどんなことであれ
身体に何らかの「感覚」を伴います。
感覚とは、「心と身体の接点」。
私たちは、身体に何らかの「感覚」が生じた瞬間
その感覚が心地よければそれを好み
心地悪ければそれを嫌うという
「好き嫌いの反応(サンカーラ)」を
一瞬一瞬繰り返しています。
私たちはこれまで
自分の外の世界にある「何か」に対して
好き嫌いの反応をしていると思ってきたけれど
実は、そうではなく、、、、
「外の世界の何か」に対してわき上がる
「内なる感覚」に対して
好き嫌いの反応をしているのです。
そして、この好き嫌いの反応は
次第に増幅していくことで
「渇望」「嫌悪」となり、その結果
苦の原因となる「執着」が生じます。
そしてこの反応は、ほんの一瞬にして
「無意識下」で起こっているため
普段私たちは、このことに全く気がついていません。
ブッダは、「苦」というものは
私たちが無知であり、この事に気づかぬまま
無意識に「渇望」と「嫌悪」という反応を
繰り返していることから生じる
、、、という事実を突き止めました。
そして、ある方法で、その反応の連鎖を
断ち切ることができることを
体験として悟られました。
ある方法とは、、、
どんな種類の感覚をも「観察」すること。
心地のいい感覚だけを感じようとしたり
心地悪い感覚を追い払おうとすることなく
自分自身が、自分の内なる世界の科学者となり
平穏な心で、身体に生じるいかなる感覚をも
つぶさに観察することで
全ての感覚は生まれては消える、という
「無常の真理」に気づくこと。
そして、この無常の真理を
体験的に理解することによって、最終的に
身体に生じるいかなる感覚への執着もなくなり
「渇望」や「嫌悪」といった無意識の癖が取り除かれ
心が真に自由になるのです。
20世紀初頭に台頭してきた
量子力学と呼ばれる物理学の分野において
あらゆる物質を構成する
原子より小さな「素粒子」というものは
瞬間的に生まれては消えるという性質を
持っていることが解明されました。
そして80年代、ノーベル物理学賞をとった
あるアメリカ人科学者は
この素粒子が一秒間に10の22乗回も
生成と消滅を繰り返している
という事実を発見したそうです。
しかし!
ブッダは2500年前に、身体の微細な感覚を
観察し続けることで、この科学者が発見した事実を
すでに「体験」されていました。
ブッダは、私たちが普段
「私」と呼んでいるものの正体は
休みなく生まれては消えていく
「素粒子の流れ」に過ぎないということ
(この素粒子は、パーリ語で「カラーパ」と呼ばれます。)
そして、そこに、意識、認識、感覚、反応、という
心の瞬時のプロセスが加わることによって
見せかけのアイデンティティを形成していることを
体験として悟られました。
それゆえに、この実体のないカラーパからなる
「私」という虚像や
「私の感覚、私の思考、私の〇〇」といったことに
執着することこそが、苦の原因となることを
発見されたのです。
************************
「無常(アニッチャ)」「無我(アナッター)」という
宇宙の真理を、自分の内に体験的に理解することで
心の中に生じる苦の原因から自由になり
常に心を浄化し続けることによって
幸せな人生を送ることができるという
ブッダの時代から引き継がれた、ヴィパッサナ瞑想。
ゴエンカ師のヴィパッサナ瞑想コースに
参加された方にとっては、ここに書いたことは
とてもなじみ深いことだと思います。
そして、このような知識は
瞑想への理解を深める上では役立つけれど
一番大切なことは、、、
これらを頭で理解することではなく
体験レベルで腑に落とすことだということを
ゴエンカ師は何度も強調されています。
ゴエンカ師の導きにより、ついに始まった
本格的なヴィパッサナ瞑想。
私の修行の日々はいかにして進んでいったのかは
次回から、、、。
(続く)