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リレーショナル・マインドフルネス(1)<小さな自己>と<真の自己>

 

今回は、リジェネラティブ・リーダーシップにとって

とても大切な要素である、マインドフルネス についての話。

 

ファシリテーターの一人で、過去には禅僧侶でもあったエデンから、

初めて、「リレーショナル・マインドフルネス 」という言葉を

聞きました。

 

近年、マインドフルネス は、ストレス軽減、集中力や創造性の向上など、

「効果」を強調しながら紹介されていることが多く、

ビジネスパーソンの間でも広がっていますが、、、

 

本来は、自分自身の「今、ここ」に注意深く意識を向けること。

 

エデン曰く、マインドフルネス というのは、

決して自分自身を改善するためのものではなく、

「自分自身が何者なのか」を思い出すためのもの。

 

その感覚は、クッションの上から始まり、日頃の人間関係、

仕事やプロジェクト、社会におけるムーブメント、

さらには地球そのものとの関わり方、といった風に

あらゆる人生の側面へと入っていくのだけれど、

全ての関係性の質は、自分自身との関係性の質と

密接に絡んでくる。

 

 

真の自分自身とのつながりを瞑想を通して思い出しつつも、

瞑想をクッションの上のみで終わらせることなく

このカオスに満ちた日常生活の中でどう活かせるか?

 

このような問いと探究心が、私の中にずっとあったので、

今回、ワークショップから学んだことを、考えたことなどを

自分の中で整理しながら、綴ってみようと思います。

 

 

「小さな自己(分離した自己)」と「真の自己」

 

 

まず、簡単にマインドフルネス 自体を説明してみます。

 

「マインドフルネス」とは、「今ここ」に生起している

自分の内側に注意を向けること。

 

マインドフルネスにおいては、たどり着く場所、

変えるべきことや改善すべきことなどはなく、

あるのは、ありのままの真の自分の存在全体に

純粋な好奇心と慈愛を持って気づくこと。

 

 

エデン曰く、もっとも繊細な慈愛の形というのは、

「意識して注意をむけること」。

 

 

基本的なプラクティスのやり方としては、まずは

楽な姿勢で座り、心を落ち着かせ、自然な呼吸に意識を向けます。

 

呼吸に意識を向けるのは、「今ここ」に錨を下ろすため。

 

呼吸と共に、その時々に内面に浮かび上がってくる、

思考や感情、感覚、願望、衝動、etc、、、

 

時として、不快だったり、繰り返し現れたり、支離滅裂だったり。

 

けれど、どんなことが自分の内側や外側に生じても、

批判したり、追い払ったりしようとせず、

あらゆる角度から、純粋な好奇心をもって

「今ここ」で起こっていることに気づいている状態を保ちます。

 

 

それは、体のどのあたりに感じられるだろう?

 

それは、どんな色、形、質感だろう?

 

 

まるで、自分の内側の「空(そら)」のような広大な空間に

生じては流れゆく雲を見つめるがごとく、

ただただ、それらに気づいている状態を保ちます。

 

 

そうすると、、、

 

そこには、もう一人の自分、つまり

<気づいている自分(目撃者)>としての視点を持った

自分がいることに気づきます。

 

 

<気づいている自分(目撃者)>は、

これまで自分が無意識に同一化してしまっていた

それらの思考、感情、感覚、願望、衝動などを

気づきの「対象」そのものとしています。

 

 

「私の中にこの考え(感情)が生じているけれど、

私はこの考え(感情)そのものではない」

 

 

「わたしは、〇〇である」ではなく、

「わたしは、在る」という感覚。

 

 

 

そして、生まれては消えゆく雲(思考、感情 etc)に気づきつつも

それらと同一化していない、空のような存在である

<気づいている自分(目撃者)>そのものが、

<真の自己>であったことに気づきます。

 

<真の自己>の感覚とは、絶対的な自由と空間的な広がり。

 

1秒、1秒、そしてまた1秒、、、と

過去から未来に時間が進んでいくのではない、

今、今、今、今、、、、という状態しかない

時間という概念を超えた空間。

 

 

 

仏教をはじめ、色々な伝統的な精神修行で言われているのは、

こうして脱同一化した<気づいている自分(目撃者)>、

もしくはさらに瞑想を深め、<気づいている自分(目撃者)>さえ

目の前に映る全ての情景の中に溶けいった先にある

<全てと一体化した(非二元の)自己>というのが、

<真の自己>である、というもの。

 

そして、これまで自分だと思っていたものは、実のところ

無意識のうちに、<真の自己>から分離してしまい

断片的な思考や感情、感覚、願望、衝動などと同一化した

<小さな自己(分離した自己)>であると言います。

 

 

ただ、この<小さな自己>の存在が悪いわけではありません。

 

たとえ、<気づいている自己(目撃者)>もしくは

<非二元の自己>の状態に到達したとしても、

その背景で、<小さな自己(分離した自己)>も、

同一化はせずとも存在はしています。

 

<小さな自己>は、部分的、断片的であるけれど、

<真の自己>は、この<小さな(自己)>という

乗り物に乗ってしか、この世での自己表現ができないからです。

 

私たちは、この世界での関係性の中で、<小さな自己>を通して

様々なことに気づき、共に成長していきます。

 

 

この<小さな自己>は、たとえ自分たちは

「相互に依存した世界に生きている」ということを、

頭では分かっていても、日常生活の中でうっかり

思考や感情などと同一化し、視野を狭めてしまう。

 

「自分 vs 外の世界」という分離の意識で見たり、

「わからなさ」と共にあることが苦手で

事実ではないことを信じようとしたり、推測したり、

意味づけしようとしたり、コントロールしたり、

欠乏意識をもったり、競争したり、自己正当化したり、

部分に気を取られ、全体を台無しにしたり、、、

(心当たりがありすぎて、胸が痛い、、、涙)

 

 

その罠に陥らないようにするために、日頃から

自分自身の心の状態や、目の前で起こっていることに対して、

いったん立ち止まって注意を意識を向けることが

大切になってくるのです。

 

ファシリテーターであるエデンも、こう説明してくれながら

時折、ふと一旦話をとめて、自分の呼吸に戻り、

自分の内側の状態にマインドフルに意識を向けてから

また話の続きに戻る、ということを繰り返していました。

 

その様子は「自分を厳しく律しよう」みたいなものではなく

とてもリラックスしていて、優しさと静けさに満ちているようでした。

 

私も、エデンのそういったあり方から学ぶところが多く、

自分の心の中で何かが動くたびに、呼吸に意識を戻して、

内側の感覚に注意をむけ、リラックスした状態に戻る、

という感じで話に耳を傾けていました。

 

 

長くなるので、次に続きます。

 

 

次は、リレーショナル・マインドフルネス にとって

土台となる、自分自身への正直さについて。

 

つづく