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ヴィパッサナ瞑想記 in カリフォルニア 4

 

Day 5

 

昨日から始まった、本格的なヴィパッサナ瞑想。

 

5日目の朝、私を含めた古い生徒達は一人一人

マネージャーから番号の書かれた

小さな紙切れを渡されました。

 

実は、ここのセンターには瞑想ホールとは別に

パゴダと呼ばれる建物があります。

 

地下、1階、そして2階からなる建物内には

瞑想者がさらに集中して自己の内面を観察できるよう

沢山の個室が用意されています。

 

朝渡された紙には、これから自分専用となる

部屋の番号が書かれており、個人で練習する時間は

今後いつでも使っていいとのことでした。

 

インドのヴィパッサナ瞑想センターには

このような個室があるとは聞いていましたが

カリフォルニアのセンターにもあるとは

ここに来るまで全く知らず

改めてこのセンターの敷地の広さと

施設の充実ぶりに驚きました。

 

(立派なパゴダ。*写真はセンターのHPより)

 

紙を渡された私は、初パゴダに多少ドキドキしながらも

外の世界とは明らかに空気感が違う

神聖なその建物に足を踏み入れ

ゆっくりと廊下を歩いていき

割り当てられた個室を見つけました。

 

畳1.5畳程の空間に、座布団とクッションが置かれており

座った後に電気を消せるよう

電気のスイッチが壁の低いところにもありました。

 

 

座布団の上に座って電気を消すと

早速目を閉じて、頭のてっぺんからつま先まで

ゆっくり意識を巡らせながら

全身の表面にある感覚を丁寧に観察していきました。

 

最初の時点では、すぐに気づける感覚と言えば

関節の痛みや筋肉の張り

突然現れるかゆみや足のしびれなど

いわゆる、分かりやすい「不快」な感覚ばかり。

 

瞑想ホールで座る時は、小さなベンチのような形の

瞑想用イスを使っていたので、長時間でも

姿勢よく楽に座っていられたのですが、

パゴダに来る時、それを持ってくるのを忘れたため

この時の瞑想中は、足のしびれに加え

股関節や腰の痛みなどが

時間と共にひどくなってきたのでした。

 

 

感覚は生じては消えるって言うけど

このしびれや痛みはどう考えても

瞑想を終えるまでは消えないどころか

ひどくなる一方、、、。

 

あーあ、イスを持ってくれば良かった。

そしたらもっと集中できたはず。

 

 

こんな痛みを感じるなんてヤダ~~

 

痛みよ、早く消え去れ〜〜

 

時間よ、早く経ってくれ〜〜

 

 

 

んんん、、、、!?

 

 

 

これ、いわゆる「渇望と嫌悪」の反応、、、!?

 

 

 

「平穏な心で、客観的に感覚を観察し続けなさい」

ゴエンカさんが、あれほど何度も言っていたのに

私は一体何を聞いていたんだか、、、!

 

ま、ここは、気づけて良かったということで

一旦呼吸に意識を戻してから

再び頭のてっぺんからつま先まで

ゆっくりと意識を動かし、今度はできるだけ

客観的に全身の感覚を観察していきました。

 

すると、先ほどまで感じていた「痛い感覚」の

「痛い」という主観的な事実がすっぽり抜け落ち

「なんだかズキズキした感覚」という感じなり

さらに「単なる大きな感覚」というところまで

感じ方が変化しました。

 

 

全く身体を動かさずに座っていた1時間という間

感覚自体はそこから消え去らなかったにしろ

観察するときの方法を「主観的から客観的」へと

シフトしたことで、感覚の質が変わり

「痛み」という主観的事実は本当に消えたのでした。

 

 

正しい観察の仕方が分かってきた、という感触を

つかんだところで、一旦外に出て休憩し

リセットしてからもう一度瞑想をスタート。

 

 

静まり返った真っ暗なパゴダの個室では

次第に集中力が深まります。

 

呼吸がだんだん、かすかなものになると同時に

身体の表面上にも微細な感覚を

感じるようになりました。

 

 

そして、意識を巡らせる身体の各部に

ビリビリ、もしくはジンジンとした感覚が感じられ

次第に、まるで全身に電流が流れているかのような

とても心地よい感覚を覚え

それは終了の鐘が鳴るまで続きました。

 

 

「今日の瞑想はかなり良かったなー。

もしかしてもうかなり進歩したのかな?

 

しかも今夜は新月みたいだし

なんだか精神がリセットできてる感じ、、、。」

 

 

瞑想の出来にすっかり満足して

外に出ると、丁度、夕陽がパゴダを

黄金の光で包み込むように沈む

美しい瞬間に遭遇。

 

 

夕陽が刻一刻と沈んでいくのを眺めていると

自分がこうして前の参加者の人達のお布施によって

瞑想に参加できている事に、この上なく深い

感謝の念が湧いてきたのでした。

 

 

(続く)