配慮と遠慮の違い

 

 

昨日は、葉山の花火大会でした。

 

今年がちょうど50周年となる、この花火大会。

 

三日月と富士山のシルエットをバックに

海の上に豪快に打ち上げあげられては

一瞬で散っていく、夜空の美しい曼荼羅。

 

 

サンフランシスコ時代の友達

 

最近知り合った、新しい友達

 

一緒に仕事をしている仲間

 

そして、昔からの葉山の親友たち。

 

 

生暖かい夏の夜風を肌で感じながら

みんなと味わう、美味しいご飯とお酒、音楽。

 

森戸海岸にあるカフェラウンジ、Cabanにて。

 

 

実は、私が10年間のアメリカ生活を引き上げて

帰国したのが、ちょうど一年前の

葉山の花火大会の日でした。

 

「ドーン、ドーン」という花火の音を聞きながら

その日から住む家に、大きなスーツケースと共に

タクシーで向かったっけな。

 

 

あれから、丸一年が経ったんだ、、、。

 

 

逆カルチャーショックのなかで

色んなことを学んだ一年。

 

 

「個」の精神の高いアメリカと

 

「和」の精神の高い日本。

 

 

この2つの文化の両方で生きてみて

最近、色んな出来事のおかげで

はっきり気づくことができたことがあります。

 

 

「遠慮」と「配慮」は違うんだ

ということ。

 

 

周りの目や、他人に何て思われるのかを気にして

また、自分が傷つくのを恐れて

本来の自分の欲求を抑えるのが「遠慮」。

 

 

一方、相手や周囲の人をリスペクトし

愛と思いやりを持って接するのが「配慮」。

 

 

この違いに気付かせてくれるような出来事が

最近になって幾つも重なったのは

きっと、偶然ではないはず。

 

 

サンフランシスコに住んでいた時は

結構みんな、周りにきちんと配慮しながら

自由に自己表現をしている人が多かった気がします。

 

一方、日本に帰ってきてからは

遠慮がちな人も未だに多いのだけど、

「もう、他人に遠慮しないで生きることにした!」

という人たちも結構いることに気づきました。

 

そして、その中には、実際、周りへの配慮を

欠いている人もちらほらいるようにも感じます。

 

 

なんだか、、、

 

強さや開き直りをアピールしてるみたいだけど

一方で、人を遠ざけているようにも見えるなぁ。

 

 

先日、そんな人に出会ったおかげで

ふと色んなことに気づけました。

 

 

「遠慮」と「配慮」は違うということ。

 

そして

 

「わがまま」と「自由」も違うということ。

 

 

私自身は、他人の気持ちに配慮しない

わがままな態度や見せかけの自由ではなくて

他人も自分と同じように大切にした上で

その先にある本当の自由を味わいたいな、、、。

 

 

花火を見ながら、そんなことを想った夜でした。

 

広海