少し前に、曼荼羅のワークショップで
わたしのいのちの花の作品を創ってみました。
その時には、割と淡い色使いになったのだけど
「ひろみさんは、色んなものをクロスすることが
好きな感じが伝わってくるわ」と
先生のコメントをいただきました。^^
確かに、何かをクロスして(掛け合わせて)
新しいものを生み出していく、というのは好き。
それゆえに、新しいものに対してオープンで、
フレキシブルで、多様性があって、みんなが含まれる、
そんな文化の根付く場所も好き。
自分の生まれ持った種というのは
一人一人違っていて、魂の花というのも
一人一人、形も大きさも色も違う。
そのいのちの花が満開に咲くかどうかは
一人一人がまずは、その花の種を愛でて
地中にしっかりと根っこを張れることに
かかっているんじゃないかなぁ。
地中に根をはると、隣同士の根っことも
土の中のネットワークを通して繋がれる。
(菌たちもそこでは大活躍)
根っこの部分っていうのは、
私たちの存在の根底であり
「Being」とも言える部分。
それがしっかりしていると、
地上にしっかりと茎や葉が伸びて、
満開の花を咲かせることができる。
この地上で目に見える部分が、
私たちの「Doing(行動)」。
天命って、この「Being」も「Doing」もひっくるめた
全体性だと思うのだけど、最初に要となってくるのは
やっぱり「Being」のところだと、個人的には思います。
それは、行動(Doing)は、それ自体よりも
その元となる「意図」の方が大事だと思っているから。
例えば、これはリン・ツイストの
「SOUL OF MONEY」の本で読んだ一節。
正確には覚えていないのだけど、確か
大金持ちの社長が、自分の会社が起こした
汚職を、イメージで上書きするために
慈善団体に巨額の富を寄付しようとした一方で
プロジェクトに共感してくれたホームレスの人が、
なけなしのわずかなお金を、心を込めて
寄付してくれるという話。
同じ寄付でも、意図は天と地ほど違うし
大事なのは、金額ではない、という話。
大事なのは、根っこの部分、つまり
行動を起こすきっかけとなる
意図、潜在意識、心、エネルギー、
こういう領域。
しかもこの領域は、目に見えないところで、
周りとも繋がっているということ。
地中には、集合無意識というか
ワンネスという繋がりがある。
私たちは、一つの大いなる存在から派生した
多様性を持った一人一人だということ。
そして、各自が自分の天命を全うしている。
(例え天命に気づいてないとしても)
天命というのは、一度言語化したら
ずっとそれを全うしないといけないものではなく
一生のうちに何度でも変化していくと思っている。
そうでないと、古くなってしまった天命が
条件付けみたいになって、新しい自分が
自由に身動きが取れなくなってしまうしね。
今回、スピーシーズに向けて、事前準備で
限られた時間でゆかちゃんと対話を重ねて
イベントの直前に「スピーシーズの物語」が
できあがりました。^^
ゆかちゃんが声で録音してくれたのだけど
それを聞いた時、彼女のの優しい語り口が
脳ではなくて、ダイレクトに心に響いて
じんわりと目から涙が出てきたよ、、、。
せっかくなので、文字でここにシェアしますね。
−スピーシーズの物語−
人間には誰しも、生まれるときに「平和の種」を
一つ与えられてくるといいます
ですが、残念なことに、多くの人々はその存在を忘れ
気づくことすらできません
一方で、その中でも、何かがきっかけとなり
その「平和の種」を思い出す人たちもいるのです
世間体や権力や地位よりも、
自分の中にある「平和の種」に意識を注ぎ
その種を育てることを大事にする人たちが・・・
その人たちは「speaces」と呼ばれ、
彼らが集うと自然とそこには
「平和の種」のコミュニティーができ
その周りには自ずと、多様な人、動物、植物が
集まってきます
ひとたび「平和の種」に気づき、
自分の内なる声に耳をかたむけ始めると、
その種は目を覚まし、やがて土の上から
芽がすくすくとでてきます
そしてその芽はどんどんと枝を広げ、
蕾から花を咲かせ、やがて実をつけていきます
これらの枝一つ、葉っぱ一つ、花一つは、
授かった「平和の種」が、それぞれの形となり、
色をまとい、唯一無二の姿を表している
証拠なのです。
speacesはこのことを「my calling」と呼んでいます
my callingはたった一つと思われがちですが、
speacesは、my callingには様々な形や段階の
レイアーがあると信じています。
ひとつの木にも、枝や葉っぱ、
蕾や枯れていく花があるように
家族を大事にすること、
大好きなお料理をすること、
あるプロジェクトに邁進すること、
自然の流れとともにいること・・・
自分の内なる声を信じ、「平和の種」から生まれ
形として現れているものは全て
「 my calling」だというのです
誰かの「my calling」の息吹は、
風に乗って周りにも伝わり
誰かの「平和の種」に触れることもあります。
そして、他の種が芽を出し、
すくすくと育つことによって、
どんどん地上に豊かな彩りをもらたします。
さらに、それだけではありません
この平和の種には、特殊な能力があると言われています
土の上で大きな木が育つ一方で、
土の下にはしっかりと
大きく根っこを張っていくのです
さらにこの木の根っこは、
土の下でお互いを見つけ出し、
根っこ同士で接して繋がっていくなかで、
情報を共有していくのです。
そうすることで、互いを地中で支え、
助け合い始めるのです
この現象を、speacesは「oneness」 といいます
土の上では、自分の「my calling」を表現しながら
土の下では「oneness」として
つながっているということ
私たちは、ただただ、自分の生まれ持った
「平和の種」を大事に育くむことで、
世界に色とりどりの花を咲かせながら
同時に、自分たちはもともと
一つだったということを
つながりを通して思い出す、、、
これがspeacesの物語です。
自分の種というもの
/カテゴリ: 学びと活動の記録少し前に、曼荼羅のワークショップで
わたしのいのちの花の作品を創ってみました。
その時には、割と淡い色使いになったのだけど
「ひろみさんは、色んなものをクロスすることが
好きな感じが伝わってくるわ」と
先生のコメントをいただきました。^^
確かに、何かをクロスして(掛け合わせて)
新しいものを生み出していく、というのは好き。
それゆえに、新しいものに対してオープンで、
フレキシブルで、多様性があって、みんなが含まれる、
そんな文化の根付く場所も好き。
自分の生まれ持った種というのは
一人一人違っていて、魂の花というのも
一人一人、形も大きさも色も違う。
そのいのちの花が満開に咲くかどうかは
一人一人がまずは、その花の種を愛でて
地中にしっかりと根っこを張れることに
かかっているんじゃないかなぁ。
地中に根をはると、隣同士の根っことも
土の中のネットワークを通して繋がれる。
(菌たちもそこでは大活躍)
根っこの部分っていうのは、
私たちの存在の根底であり
「Being」とも言える部分。
それがしっかりしていると、
地上にしっかりと茎や葉が伸びて、
満開の花を咲かせることができる。
この地上で目に見える部分が、
私たちの「Doing(行動)」。
天命って、この「Being」も「Doing」もひっくるめた
全体性だと思うのだけど、最初に要となってくるのは
やっぱり「Being」のところだと、個人的には思います。
それは、行動(Doing)は、それ自体よりも
その元となる「意図」の方が大事だと思っているから。
例えば、これはリン・ツイストの
「SOUL OF MONEY」の本で読んだ一節。
正確には覚えていないのだけど、確か
大金持ちの社長が、自分の会社が起こした
汚職を、イメージで上書きするために
慈善団体に巨額の富を寄付しようとした一方で
プロジェクトに共感してくれたホームレスの人が、
なけなしのわずかなお金を、心を込めて
寄付してくれるという話。
同じ寄付でも、意図は天と地ほど違うし
大事なのは、金額ではない、という話。
大事なのは、根っこの部分、つまり
行動を起こすきっかけとなる
意図、潜在意識、心、エネルギー、
こういう領域。
しかもこの領域は、目に見えないところで、
周りとも繋がっているということ。
地中には、集合無意識というか
ワンネスという繋がりがある。
私たちは、一つの大いなる存在から派生した
多様性を持った一人一人だということ。
そして、各自が自分の天命を全うしている。
(例え天命に気づいてないとしても)
天命というのは、一度言語化したら
ずっとそれを全うしないといけないものではなく
一生のうちに何度でも変化していくと思っている。
そうでないと、古くなってしまった天命が
条件付けみたいになって、新しい自分が
自由に身動きが取れなくなってしまうしね。
今回、スピーシーズに向けて、事前準備で
限られた時間でゆかちゃんと対話を重ねて
イベントの直前に「スピーシーズの物語」が
できあがりました。^^
ゆかちゃんが声で録音してくれたのだけど
それを聞いた時、彼女のの優しい語り口が
脳ではなくて、ダイレクトに心に響いて
じんわりと目から涙が出てきたよ、、、。
せっかくなので、文字でここにシェアしますね。
−スピーシーズの物語−
人間には誰しも、生まれるときに「平和の種」を
一つ与えられてくるといいます
ですが、残念なことに、多くの人々はその存在を忘れ
気づくことすらできません
一方で、その中でも、何かがきっかけとなり
その「平和の種」を思い出す人たちもいるのです
世間体や権力や地位よりも、
自分の中にある「平和の種」に意識を注ぎ
その種を育てることを大事にする人たちが・・・
その人たちは「speaces」と呼ばれ、
彼らが集うと自然とそこには
「平和の種」のコミュニティーができ
その周りには自ずと、多様な人、動物、植物が
集まってきます
ひとたび「平和の種」に気づき、
自分の内なる声に耳をかたむけ始めると、
その種は目を覚まし、やがて土の上から
芽がすくすくとでてきます
そしてその芽はどんどんと枝を広げ、
蕾から花を咲かせ、やがて実をつけていきます
これらの枝一つ、葉っぱ一つ、花一つは、
授かった「平和の種」が、それぞれの形となり、
色をまとい、唯一無二の姿を表している
証拠なのです。
speacesはこのことを「my calling」と呼んでいます
my callingはたった一つと思われがちですが、
speacesは、my callingには様々な形や段階の
レイアーがあると信じています。
ひとつの木にも、枝や葉っぱ、
蕾や枯れていく花があるように
家族を大事にすること、
大好きなお料理をすること、
あるプロジェクトに邁進すること、
自然の流れとともにいること・・・
自分の内なる声を信じ、「平和の種」から生まれ
形として現れているものは全て
「 my calling」だというのです
誰かの「my calling」の息吹は、
風に乗って周りにも伝わり
誰かの「平和の種」に触れることもあります。
そして、他の種が芽を出し、
すくすくと育つことによって、
どんどん地上に豊かな彩りをもらたします。
さらに、それだけではありません
この平和の種には、特殊な能力があると言われています
土の上で大きな木が育つ一方で、
土の下にはしっかりと
大きく根っこを張っていくのです
さらにこの木の根っこは、
土の下でお互いを見つけ出し、
根っこ同士で接して繋がっていくなかで、
情報を共有していくのです。
そうすることで、互いを地中で支え、
助け合い始めるのです
この現象を、speacesは「oneness」 といいます
土の上では、自分の「my calling」を表現しながら
土の下では「oneness」として
つながっているということ
私たちは、ただただ、自分の生まれ持った
「平和の種」を大事に育くむことで、
世界に色とりどりの花を咲かせながら
同時に、自分たちはもともと
一つだったということを
つながりを通して思い出す、、、
これがspeacesの物語です。