‘Life Begins at the end of Your Comfort Zone’
「日常の心地よい殻を破ったところから
真の人生が始まる」
かの有名な本「神との対話」の作者である
ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の格言です。
Confort Zoneとは、直訳すると
「快適な領域」。
つまり、そこにいると自分が楽でいられる
居心地の良い領域のこと。
楽でいられるので、私たちはついつい
そこに留まろうとします。
それどころか、何かあったときは
無意識にそこに戻ろうとしさえてしまうもの。
「無意識」。
私たちの日々の行動の大部分は
この「無意識」によって操られているらしい。
朝起きてから夜寝るまで
毎日同じルーティーンで過ごしていると
「無意識の行動」や「無意識の選択」が
だんだん多くなってきます。
私の場合だと、食事後に無意識に
いつもと同じサプリメントを飲み
無意識にいつも同じ道を通って職場に行き
部屋の植木たちに水をやるときも
無意識にいつも同じ順番だったり
、、、みたいな。
「無意識の行動」や「無意識の選択」は
それまでに何度も繰り返した行動や選択が
潜在意識にインプットされている状態なので
何も考えなくてもそれができる。
考えなくていいので
一言で言うと「楽」なのです。
でも、その一方で
毎日そんな風に楽をしていると
だんだん「型」にはまって
固定していってしまう感じがしてしまう。
安定していて楽なはずの無意識生活が
時間と共に、次第に退屈で窮屈なものに
感じられてきてしまう。
「型」にはまった生活や価値観より
「軸」を持って自由に動くのが好き。
無意識に生きてるとつい忘れがちだけど
私たちの毎日は、本来、毎日が
「選択」の連続です。
あっちにしようか、こっちにしようか、、、
今やろうか、あとでやろうか 、、、
じつは、この「選択」という行為は
自分の意識との対話。
それを通して、自分のことを
より深く知ることができます。
だけど、この一瞬一瞬の選択を
「無意識」に任せっきりにしていたら
そこに自分との対話は生じず
来る日も来る日も同じような毎日を
過ごしてしまいかねません。
一方で、「旅」というのは
慣れた快適な日常を抜け出して
未知の世界に直面できるもの。
意識の扉を全開に開いて
自分との対話を沢山しながら
迷ったり、発見したり、感動したりして
毎日を新鮮な意識で過ごすことができる
絶好の時間なのです。
場所が変われば、常識が変わる。
時代が変われば、常識が変わる。
旅の道中では、何気なくやったことが
その国ではタブーだったり
逆に日本ではタブーなことが
その国では全くそうでなかったりします。
私もこれまで旅をしながら
自分のこれまでの常識を
何度疑ったことか、、、。
こっちの常識は、あっちでは非常識だった
という経験の数々。
自分はこれまで「常識」という名目で
一体どれだけの洗脳や束縛を
受けてしまっていたんだろう。
親から言われた何気ない一言
学校の教育システムからの影響
メディアから耳にした偏った情報
国や大企業の、自分たちの都合の為の政策
こんなものが、自分の無意識の領域に詰まってる。
自分の魂を、目に見えない束縛から解放したい
古い殻を脱ぎ捨てて
自分にあった新しい価値観を選びたい
自分の可能性をもっと開きたい
自分らしさを知って、それを表現したい
そんな想いが募って
ふとまた旅に出たくなる。
自分探しの旅、ではなく
自分を「創造」する旅。
さて、次の旅はどこに行こうかな〜。
旅ノススメ —無意識な日常からの脱却—
/カテゴリ: 旅と日常と気づきと‘Life Begins at the end of Your Comfort Zone’
「日常の心地よい殻を破ったところから
真の人生が始まる」
かの有名な本「神との対話」の作者である
ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の格言です。
Confort Zoneとは、直訳すると
「快適な領域」。
つまり、そこにいると自分が楽でいられる
居心地の良い領域のこと。
楽でいられるので、私たちはついつい
そこに留まろうとします。
それどころか、何かあったときは
無意識にそこに戻ろうとしさえてしまうもの。
「無意識」。
私たちの日々の行動の大部分は
この「無意識」によって操られているらしい。
朝起きてから夜寝るまで
毎日同じルーティーンで過ごしていると
「無意識の行動」や「無意識の選択」が
だんだん多くなってきます。
私の場合だと、食事後に無意識に
いつもと同じサプリメントを飲み
無意識にいつも同じ道を通って職場に行き
部屋の植木たちに水をやるときも
無意識にいつも同じ順番だったり
、、、みたいな。
「無意識の行動」や「無意識の選択」は
それまでに何度も繰り返した行動や選択が
潜在意識にインプットされている状態なので
何も考えなくてもそれができる。
考えなくていいので
一言で言うと「楽」なのです。
でも、その一方で
毎日そんな風に楽をしていると
だんだん「型」にはまって
固定していってしまう感じがしてしまう。
安定していて楽なはずの無意識生活が
時間と共に、次第に退屈で窮屈なものに
感じられてきてしまう。
「型」にはまった生活や価値観より
「軸」を持って自由に動くのが好き。
無意識に生きてるとつい忘れがちだけど
私たちの毎日は、本来、毎日が
「選択」の連続です。
あっちにしようか、こっちにしようか、、、
今やろうか、あとでやろうか 、、、
じつは、この「選択」という行為は
自分の意識との対話。
それを通して、自分のことを
より深く知ることができます。
だけど、この一瞬一瞬の選択を
「無意識」に任せっきりにしていたら
そこに自分との対話は生じず
来る日も来る日も同じような毎日を
過ごしてしまいかねません。
一方で、「旅」というのは
慣れた快適な日常を抜け出して
未知の世界に直面できるもの。
意識の扉を全開に開いて
自分との対話を沢山しながら
迷ったり、発見したり、感動したりして
毎日を新鮮な意識で過ごすことができる
絶好の時間なのです。
場所が変われば、常識が変わる。
時代が変われば、常識が変わる。
旅の道中では、何気なくやったことが
その国ではタブーだったり
逆に日本ではタブーなことが
その国では全くそうでなかったりします。
私もこれまで旅をしながら
自分のこれまでの常識を
何度疑ったことか、、、。
こっちの常識は、あっちでは非常識だった
という経験の数々。
自分はこれまで「常識」という名目で
一体どれだけの洗脳や束縛を
受けてしまっていたんだろう。
親から言われた何気ない一言
学校の教育システムからの影響
メディアから耳にした偏った情報
国や大企業の、自分たちの都合の為の政策
こんなものが、自分の無意識の領域に詰まってる。
自分の魂を、目に見えない束縛から解放したい
古い殻を脱ぎ捨てて
自分にあった新しい価値観を選びたい
自分の可能性をもっと開きたい
自分らしさを知って、それを表現したい
そんな想いが募って
ふとまた旅に出たくなる。
自分探しの旅、ではなく
自分を「創造」する旅。
さて、次の旅はどこに行こうかな〜。