Day 9
前々日、そして前日の出来事で
ヴィパッサナ瞑想に対する動機と目的が
はっきり再確認できたので
その後は毎時間もっと真剣に座るようになり
それに伴って、集中力と観察力も
さらに研ぎすまされていきました。
9日目であるこの日のインストラクションでは
これまでのように、身体の表面のみに生じる感覚を
順番に追っていくのではなく
身体の内部を貫くように意識を巡らせ
その身体の内部感覚を感じていくよう
指示がありました。
まず、目をつむり、まず体表面の感覚を感じた後
意識をしっかりと研ぎすまして
頭のてっぺんから意識を下げていきます。
頭蓋骨の内部
顔の内部
首の内部
胴の内部、、、
という風に、意識を体内に貫通させるような形で
頭から足先まで、全身の内部の感覚を
ゆっくり、くまなく、そしてとぎれなく
観察していきました。
すると割と早い段階で
からだの内側にある微細な感覚に気づき始め
骨や筋肉、脂肪や内臓などが収まっているはずの
からだの内部が、まるで空洞のように感じられ
形や質量を持ったものは全て消え去り
自分自身が透明人間になったような
とても不思議な感覚になりました。
例えば、太腿の上に置いたはずの手の重さは
もはや全く感じられず
「手が太腿に触れている」という触感や
手と太腿の境目すらも
全く分からなくなっていった、という感じ。
身体の境界線がだんだん無くなり
ただ波動の集まりようなものだけが
そこにある、ということを
「感覚」として体験した時、、、
その波動としての「私」は
外界に存在する別の波動に溶け込み
次第にその中へと消えていってしまったのでした。
身体の内部にある、内なる小宇宙の真実。
この世界に存在するものを構成しているものは
全て、瞬時に生滅を繰り返す
波動の集まりであるということを
「感覚」でダイレクトに感じる瞬間。
かなり長い時間、集中して瞑想したので
ちょっと休憩しようと思い
小高い丘の上に立っているホールから出て
ふと辺りを見回しました。
目の前の木、石、土、キツツキ、リス
自分が宿泊している建物、、、
どこをみまわしても、何に対しても
境目といったものが感じられず
かわりにそこにあるのは
無限に広がる一体感のような感覚のみ、、、。
私という実体など存在しないという
無我(アナッター)の境地。
この境地をしばらく感じていたかったので
瞑想には戻らず、丘の上に立って
目の前の景色をじーっとを眺めていました。
正確に言うと、じーっと眺めていたというよりは
その景色に溶け込んで、一体化していたという感じ。
すると下の方に、一人の女性参加者が
歩いているのが目に映りました。
今度は、その彼女にすら一体感を覚える私。
見ている「私」とその「対象物」の間に
境目がない、、、。
「私」いうものが消え去り
「無我」の境地を感じつつ
宇宙の真理を体感する瞬間。
実は、初めてコースに参加した時も
9日目にこの境地に至ったのですが
あの時は、自分が消滅してしまったことで
アイデンティティ・クライシスのような
境地に一瞬陥ってしまいました。
これまでの自分は何者だったんだろう、、、
どんな風に「見せかけの現実」の世界と
折り合いを付ければよいのだろう、、、
ただ、実は翌日、ゴエンカ師が最後の仕上げとして
「メッター(慈愛)の瞑想」というものを
享受して下さったことで、落ち着きを取り戻し、
新たな方向にむかっていい流れが出来きたのでした。
そして今回は、前回の体験から、この一連の流れを
知っていたので、そのような危機は回避できました。
さて、瞑想もいよいよ残り1日、、、。
(続く)
http://vibrantavenue.com/wp/wp-content/uploads/2013/11/51912_111563362243212_223437_o.jpg
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hiromi
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hiromi2013-11-20 21:49:002021-06-04 17:53:56ヴィパッサナ瞑想記 in カリフォルニア 8
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ヴィパッサナ瞑想記 in カリフォルニア 8
/カテゴリ: メディテーションDay 9
前々日、そして前日の出来事で
ヴィパッサナ瞑想に対する動機と目的が
はっきり再確認できたので
その後は毎時間もっと真剣に座るようになり
それに伴って、集中力と観察力も
さらに研ぎすまされていきました。
9日目であるこの日のインストラクションでは
これまでのように、身体の表面のみに生じる感覚を
順番に追っていくのではなく
身体の内部を貫くように意識を巡らせ
その身体の内部感覚を感じていくよう
指示がありました。
まず、目をつむり、まず体表面の感覚を感じた後
意識をしっかりと研ぎすまして
頭のてっぺんから意識を下げていきます。
頭蓋骨の内部
顔の内部
首の内部
胴の内部、、、
という風に、意識を体内に貫通させるような形で
頭から足先まで、全身の内部の感覚を
ゆっくり、くまなく、そしてとぎれなく
観察していきました。
すると割と早い段階で
からだの内側にある微細な感覚に気づき始め
骨や筋肉、脂肪や内臓などが収まっているはずの
からだの内部が、まるで空洞のように感じられ
形や質量を持ったものは全て消え去り
自分自身が透明人間になったような
とても不思議な感覚になりました。
例えば、太腿の上に置いたはずの手の重さは
もはや全く感じられず
「手が太腿に触れている」という触感や
手と太腿の境目すらも
全く分からなくなっていった、という感じ。
身体の境界線がだんだん無くなり
ただ波動の集まりようなものだけが
そこにある、ということを
「感覚」として体験した時、、、
その波動としての「私」は
外界に存在する別の波動に溶け込み
次第にその中へと消えていってしまったのでした。
身体の内部にある、内なる小宇宙の真実。
この世界に存在するものを構成しているものは
全て、瞬時に生滅を繰り返す
波動の集まりであるということを
「感覚」でダイレクトに感じる瞬間。
かなり長い時間、集中して瞑想したので
ちょっと休憩しようと思い
小高い丘の上に立っているホールから出て
ふと辺りを見回しました。
目の前の木、石、土、キツツキ、リス
自分が宿泊している建物、、、
どこをみまわしても、何に対しても
境目といったものが感じられず
かわりにそこにあるのは
無限に広がる一体感のような感覚のみ、、、。
私という実体など存在しないという
無我(アナッター)の境地。
この境地をしばらく感じていたかったので
瞑想には戻らず、丘の上に立って
目の前の景色をじーっとを眺めていました。
正確に言うと、じーっと眺めていたというよりは
その景色に溶け込んで、一体化していたという感じ。
すると下の方に、一人の女性参加者が
歩いているのが目に映りました。
今度は、その彼女にすら一体感を覚える私。
見ている「私」とその「対象物」の間に
境目がない、、、。
「私」いうものが消え去り
「無我」の境地を感じつつ
宇宙の真理を体感する瞬間。
実は、初めてコースに参加した時も
9日目にこの境地に至ったのですが
あの時は、自分が消滅してしまったことで
アイデンティティ・クライシスのような
境地に一瞬陥ってしまいました。
これまでの自分は何者だったんだろう、、、
どんな風に「見せかけの現実」の世界と
折り合いを付ければよいのだろう、、、
ただ、実は翌日、ゴエンカ師が最後の仕上げとして
「メッター(慈愛)の瞑想」というものを
享受して下さったことで、落ち着きを取り戻し、
新たな方向にむかっていい流れが出来きたのでした。
そして今回は、前回の体験から、この一連の流れを
知っていたので、そのような危機は回避できました。
さて、瞑想もいよいよ残り1日、、、。
(続く)