誰かの役に立とうと思わなくていい

 

ありがたいなぁ、といつも思うのだけど、、、

 

私の周りには、歳は一回り以上離れているけど

自然体で接することのできる女友達が多くて

長女の私は、そんな年上の女友達たちと

過ごす時間が、とっても好き。

 

「妹」のようになれる時間の中で

いろんな人生経験の話が聞けて

沢山のことに気づかせてもらえます。

 

葉山

 

先日、テキスタイルや染物の作品を作りながら

自分のリズムで純粋に、そして自由に生きている

葉山在住のアーティストの友達に会ってきました。

 

私より20歳以上離れている女性なのに

敬語の「け」の字もない、フランクな会話。

 

そんな会話には、私にとって名言となるような

印象深い言葉が、さらっと散りばめられていて

いつもインスピレーションがもらえることが

とってもありがたいのです。

 

 

 

常にデパートを中心に展示会や個展をやっている彼女。

 

作品のファンは全国に沢山いるのに

自分が気が向いた時しか作品を作らないで

大好きなサーフィンをしながら過ごす毎日。

 

 

先日、夜遅くまで久々にゆっくり話していた時に

ふと彼女が言ったことに対して

とても共感が持てたので、今日はそれについて

書いてみようと思います。

 

 

 

そもそも、人の役に立とうなんて

考えなくていいんだよ。

 

ただ、やりたいことをやっているだけで

結局は、誰かの役に立つんだからさ。

 

私なんて、人の役に立とうと思って

作品を作ったことは一度もないよ。

 

でも、何でか知らないけど

作ったら、売れちゃうのよ。

 

不思議よねぇ〜。

結構高い値段つけているのに。笑

 

でもみんな、喜んで買ってくれて

使ってくれてるってことは

これって結局、私も人の役に立ってるってことよね。

 

 

彼女は、自分の作品が売れても売れなくても

揺るぎない幸せとともに生きている感じ。

 

やりたいことをやっている幸せ。

 

自分を表現できている幸せ。

 

情熱の赴くままに生きている幸せ。

 

 

 

自分が情熱を感じることをやった結果

人の役にも立っている、という順番。

 

 

この順番が大切だと、私も思うのです。

 

 

 

マッサージの例でいうと、、、

 

「目の前のお客様を癒すことが自分の幸せ」

というセラピストの方達もかなりいます。

 

相手の痛みや辛さが分かる人だからこそ

そう思えるのは、自然なことなのだと思うけど

別の見方をすると、、、

 

自分が幸せになるためには

「癒されていない人」の存在が

必要になってしまいます。

 

ここで何が起きるかというと、まずは、

「この人は癒されてない人だ」という

自分目線でのジャッジ。

 

次に、相手に必要とされる人間に

なろうとしてしまうという

不健全なループ。

 

 

こんな時は、相手へのいたわりや思いやりを、

自分にも同じくらい、まずは向けられると良いのかな、

と思います。

 

 

 

私も時々「何をしたら人の役に立てるかなー?」と

思ったりもするのですが、そういう時は必ず

「これって、本当に自分が好きなこと?」と

自問自答しています。

 

 

もし答えがNOなら、やらない。

 

 

そして、本当に好きなことしか、やらない。

 

 

そうすると、だんだん人生がシンプルに

なってきて、いろんなことが流れに乗って

進んでいく。

 

 

そんな風にこれからもありたいな。